2012年06月21日

「阪神・淡路から東日本へ神戸の教訓は生かされたか?」第4回

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本日第四回目のタイトルは「忘れ去られる震災」です。
初めまして、総合政策学部、国際政策学科二回生の植木和貴です
メディア情報学科二回生の竹川祥希です
同じく村上広野です
同じく谷本悠介です
同じく山口まさひろです。
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私たちは、ひょうご・まち・くらし研究所常務理事である山口一史さんに、お話をうかがいました。
山口さんはひょうご・まち・くらし研究所を通して、市民が持っている課題を発見し、市民と行政をつなぐ、通訳的役割をしています。山口さんは、新聞社やラジオ局での職務を経験し、その後ひょうごまちくらし研究所を設立されました。
様々な経験をされてきた方なので、最初はどんな方なのだろうと緊張していましたが、実際に会ってみると、とても話しやすく、優しい人だという印象をうけました。
今回はまず、ひょうご・まち・くらし研究所の設立理由からひもといていき、次に研究所の活動内容・仮設住宅における様々な問題点・人と人とのつながり、の流れでお伝えしていきたいと思います。
まず初めに、ひょうご・まち・くらし研究所の設立理由からお伝えしたいと思います。
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山口さんに、なぜひょうご・まち・くらし研究所を設立したのかと質問したところ。阪神大震災のときに集まったボランティアの人たちの、いきいきとした姿を見たからだとおっしゃいました。
自分たちが何か得するわけでもないというのに、なぜ、こんなにもいきいきと笑顔でボランティア活動をしているのだろう。もしかすると、ボランティア活動というのは、とてもやりがいのある仕事なのではないだろうか、と考えたそうです。このことに関して、村上君はどう思いますか?
この兵庫まちくらし研究所は「行政と市民の通訳」という役割のためにこの研究所を作られたそうです。山口さんは、このひょうご町暮らし研究所は、阪神淡路大震災があったからこそ、作ったとおっしゃっていました。この言葉は、私の中で大きく印象に残っています。山口さん自身も阪神淡路大震災の当時、神戸で被災されていました。そのような状態の中で、山口さんは、自身の足で被災現場を歩き、何かできることはないかと、一被災者、一市民の視点で復興について考えたそうです。
阪神淡路大震災の当時のボランティアというのは、現在のように確立されたものではなかったそうです。今でこそ、ボランティアを統括し派遣する団体がたくさんありますが、阪神大震災の当時はボランティアの人たちは自分たち自身で行く場所を決め、ひとりひとりが思い思いにボランティア活動をしていたそうです。
被災者が何を感じ、何を求めているのかという気持ちは、実際に被災してみないと、なかなか理解することが難しいと私は感じました。正直、私には、被災するという状況を想像することができませんでした。しかし、山口さんの、実際の体験を聞いて、被災地には、被災者の視点からしか分からない、様々な問題があることを知り、復興と一言でいっても、様々な問題が絡んでくることに気付かされ、単純な問題でないということを改めて知りました。
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被災者の身になり、実際に被災現場を見て、その中でボランティア活動をして、初めて、被災現場の問題点を把握、理解することができるのだと気づかされました。山口さんは実際に被災され、その中で復興に向け、ボランティア活動に励んでおられたからこそ、被災者の生の声、ニーズを行政につたえることが重要であることに気付いたのだと私は思いました。行政には届きにくい、でも届けなければならない被災者の声を伝えることの重要性を知ることが出来ました。

私自身は実際に被災地でのボランティア活動をしたことはありませんが、私の友人に東北に実際にボランティア活動へ行った人がいます。その友人は、ボランティアを終えて帰ってくると、「震災に対する見方が変わった」と話していました。その友人はボランティアへ行く前は、軽く考え、他人事のように感じていたそうです。しかし実際に現場の空気を吸い活動する中で、被災地に様々な問題があり、被災者は様々な苦悩を持っていることに気付いたそうです。その友人の話を聞き、被災地にもさまざまな問題があるということを知り、単純な問題ではないということをしりました。だからこそボランティアの人たちのような本当に被災者のことを考えている人たちこそが復興をするためには必要であると感じました。

山口さんは「一番怖いことは震災を忘れられることだ」とおっしゃっていました。
東日本大震災から一年半経ちますが、まだまだ復興への課題がたくさんあります。その中で私たちにできることはたくさんあると私は思います。この震災のことを忘れずに、被災者の声を聞き、復興のために考え、小さな行動でもすることが、復興へとつながっているのだと私は思っています。

ありがとうございました。僕も復興には、ボランティアの存在が重要だと思います。
僕の家族も、阪神淡路大震災の被災者なのですが、両親からボランティアのありがたさについて、よく聞かされました。たとえ、どんなに軽い気持ちであっても、ボランティアをすることは尊いことだと思います。最終的には、考え方が変わり、本気で復興のことについて考えるようになったと、ボランティア経験のある友人も言っていました。復興に関わるタイミングを逃した方も、まずは小さなことでいいので、復興に携わっていくべきであると感じました。
次にひょうご・まち・くらし研究所の活動について話したいと思います。
ひょうご・まち・くらし研究所では被災者の暮らしを再建するために、被災地の作業所で手芸品の作成を援助したそうです。そうして収入を得るとともに、コミュニケーションの場を作りました。
こうした活動について、竹川君はどう思いますか。
まず、私がひょうご・まち・くらし研究所の活動をきいて感じたことは、私が今まで考えてきた、復興支援とは違った形の支援であるなぁ、ということです。人と人とのつながりを強化し、人間関係を構築することで、復興を支援する、という形を、私は想像していなかったからです。
私が想像していた、復興というのは、建物を建築しなおして、町としての表面的な形をとりもどす、ということを一番に考えた復興だったからです。しかし今回のインタビューをへて、復興を支援するために一番重要なことは、そこに、人が住んでいる、ということを一番に考えることである、と気づかされました。
人が集団で生きていくためには、人間関係を構築しなくてはならないとおもいます。だからこそ人間関係がうまくいけば、自然と、そこに住む人たちに、活気が戻ると思うのです。つまり、表面的な形ではなく、人が住んでいるということを、一番に考えた復興をするためには、まずコミュニケーションの場を作る、ということが一番重要である、と思いました。そういった意味でひょうご・まち・くらし研究所が行っている、作業所での手芸品の作成を援助するということは、とても大きな意味を持っていると思います。この作業所での仕事は給料が手に入るということ以上に、人間関係の構築の場として、大きな役割を果たすと思います。
今回のインタビューで、山口さんがおっしゃった言葉の中に、一つ、とても印象に残っている言葉があります。その言葉というのが、「復興で大切なのは、制度ではなく、人間である」という言葉です。この言葉には、本当に被災地が復興するためには、いかにすばらしい制度を作り上げるか、ということよりもいかに被災者の声を聴いた復興支援をするか、ということが重要である、という意味が込められていると、私は思いました。
遠くから数字やデータだけで、被災地の状況を知るのではなく、実際に、「被災地」の状況を自分の目でみて、「被災者」の声を自分の耳で聴いて、実際に人が住んで、聞いているということを身に染みて実感することが、復興を支援するのに必要であると思います。
しかし、実際に復興計画を立てている人たちには、被災者の生の声というのは届きにくいと思います。だからこそ、ひょうご・まち・くらし研究所のような、行政と市民の間に立つ「通訳」のような存在は、とても重要であると感じました。
ありがとうございました。僕も被災者にとって最も重要なのは、人間関係だと思います。長期に渡る集団生活の上では、仲間同士の助け合いが必須だからです。人間関係を第一に考えた、ひょうご・まち・くらし研究所は多くの被災者を支えたと思いますし、阪神大震災の被災者であったからこそ、人間関係を支えるという支援が出来たのだと思います。物資を与えるだけ与えて、あとは放っておくというスタイルが、今の日本です。被災者にとって、一番大切な人間関係をおろそかにしているようでは、復興にかかる時間は長くなるばかりだと思いました。
次に、仮設住宅における問題点についてお伝えします。
山口さんに、東日本大震災と阪神大震災の違いについて聞いたとき、仮設住宅に様々な問題があるという話をききました。
これについて山口君はどう思いますか?
仮設住宅について聞いた話の中に3つの問題があげられていました。1つは、仮設住宅の玄関の向きに関する問題、2つめがお風呂のスイッチの問題、そして3つめがバリアフリーが考慮されていないという点です。
まず玄関についてですが、仮設住宅の玄関をすべて同じ方向に向けてしまったせいで仮設住宅地でのコミュニケーションの機会が失われていました。玄関を向い合せにすればふと家をでたときなどに顔を合わせ自然とコミュニケーションができたのではないのでしょうか。
次にお風呂のスイッチについてですが、コストを削減するために電気と換気扇のスイッチがおなじであったというのです。これでは寒い真冬であっても明かりをつければ換気扇が回り、寒さに耐えながらお風呂に入らなくてはなりませんでした。
そして最後にバリアフリーの面が配慮されていなかったということですが、このせいで高齢者の方たちは大きな苦労をすることになってしまいました。しかしこの問題はボランティアの方たちがブロックを持ってきて積み上げるなどして改善がされました。こうした行政の人の生活を考えていない政策が大きな問題となっています。
私自身も阪神大震災の一被災者で公園に設けられた仮設住宅に暮らす祖父母の元によく遊びに行っていました。そこでは屋根の下で暮らせるというだけで数多くの問題を抱えていました。
エアコンといった空調設備は、申し訳程度であまり効いておらず、夏は暑く冬は寒いという、お年寄りには厳しい環境でした。また、壁は薄く換気口からは外が大きく見えており、密集した住宅であるため、隣が少し大きな声で喋るだけで丸聞こえになってしまうという、快適とは言えない状態でした。
さきほど紹介した山口さんから聞いた東北大震災における仮設住宅の現状を聞く限り、阪神大震災でのこういった問題点や反省は17年近く経った今でもあまり生かされていない印象を受けました。
また、避難所から復興住宅へ移り住むための道が一本道であるということも、大きな問題であると思います。現状では避難所に住んでいなかった人は自分で生活する手段があるとして、仮設住宅にもいれてもらえず、そのまま復興住宅に移り住むこともできないのです。こんな状態では本当の意味での復興ができないと思います。だから、一本道ではなくもっと柔軟な形での支援をしていく必要があるように感じました。
ありがとうございました。復興住宅における問題点は、今度こそ改善すべきだと思います。体育館などの劣悪な環境で、復興住宅を待ち望みにしている人の期待を裏切ってはいけないですし、仮設住宅に入れない人を放っておいていいわけがないからです。地震大国である日本が先陣をきって、多くの災害経験を活かした対策次に、人と人とのつながりについてお伝えします。
これまでの話から、復興のためにはコミュニティの存在が重要であると言ってきましたが、このことについて、谷本君はどう思いますか?
これまでの話を聞いて、私はコミュニティの必要性を、再確認させられました。災害時においては、人と人とのつながりは、とても大切なものだからです。一言で人と人とのつながりといっても、人と人とのつながりには、二種類あると私は思いました。
一つ目は、個人の意見を、政府に伝える手段としてのつながり、二つ目は、自分の生活を、より充実させるためのつながりです。
一つ目の、個人の意見を、政府に伝える手段としてのつながりは、東日本大震災において、必要不可欠だったと思います。東日本大震災は、東北という、田舎ならではのコミュニティを築いている地域が、被災したため、コミュニティと、政府との間をとりもつ存在の重要性が、再確認されました。災害時だけではなく、普段から、地方の声を政府に届けることは、あらゆる災害に直面した際に、被災地の人々の、大きな助けとなります。普段からできていない意思疎通を、被災した際にはできる、なんてことはありえません。なので、普段から、自分たちの声を、政府に届けようとすることは、とても大切なことだと思います。被災時には、きちんと被災者の意見を政府に届けることで、適切な支援も期待できるうえ、その支援は、被災者の心の支えとなることでしょう。被災地の声を早く、正確に政府に伝えることが、早期復興を実現することの手助けとなると私は思います。
二つ目の、自分の生活を、より充実させるためのつながりも、大きな災害に見舞われた際には、必要なものでしょう。東日本大震災において、仮設住宅への入居者の決め方は、抽選によって行われました。この抽選という制度は、大きな問題を抱えています。それは、もともと存在していたコミュニティを、崩してしまうということです。抽選によって、もともと同じ地区に住んでいた人々が、別々の場所で生活することを、強いられてしまいました。この影響で、仮設住宅において、コミュニケーションがとりにくく、人と人とのコミュニケーションが、失われてしまう結果となりました。これでは、行政に、被災者として声を届けるどころか、日常の生活すら、満足にできなかったのではないかと思います。そんな状況では、復興を目指すことはできないと私は思います。
以上より、私は、自分の声を、政府に届けるためのつながり、そして、自分の生活を、充実させるためのつながりが、とても大切な物であると感じました。
ありがとうございました。災害時における通訳の存在は、復興の土台であると思いました。東日本大震災は阪神大震災と比べて、被災者の多くが高齢者という点や、田舎という地域が原因で復興が長引いているという点で大きく異なります。特に、よそ者を拒むといった考えが問題になっていると聞きました。同じ環境で生活している人や、同じ経験をしている人にしか、話せないようなこともあると思いますし、地域の情報を外に伝えるためにも、被災地におけるコミュニティは大切だと思います。
山口さんのインタビューを終えて私達は、被災者にとって一番重要なのは、人と人とのつながりであると実感しました。一度被災すると、被災者の気持ちがわかるようになり、救援のお返しをするようになる文化が生まれるといった話は、阪神大震災の一被災者として、とても共感できました。
支援の形に関しても、今までただ募金をする、ただ救援物資を送るだけ、などの行政からの支援しか頭になかった私たちにとって、被災者の人間関係を第一に考える山口さんの支援の形にはとても驚かされました。これから起こりうる災害のためにも、人間関係を重視した復興プランを立てておくことが、地震大国である日本の責任ではないかと思います。
最後に、私たちは東北の人たちに伝えたいことはなんですか?と山口さんに聞きました。それに対し山口さんは「私たちは見ているよ」と答えました。
被災者にとって一番つらいことは忘れさられることです。阪神大震災の被災者である僕の両親もよく、被災していない人たちにとって、震災は他人事だと言っています。
だからこそ、「災害は忘れられたらおしまい」、といった山口さんの言葉には、とても説得力がありました。様々な形の支援がありますが、根底にはきっと、「私たちは見ている」といった、大切なメッセージが込められていると実感しました。


posted by FMYY at 17:07| Comment(0) | podcast | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする