2011年12月27日

関西学院大学総合政策学部3年進級制作番組第1回「夢〜畑と生きてきたおばあちゃん〜」




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関西学院大学総合政策学部山中速人研究室卒業4年制作番組〜再生と絆の物語〜復興を願う浦安市民たちの思いがつまった映画〜

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担当:鶴山亜裕美
再生と絆の物語〜復興を願う浦安市民たちの思いがつまった映画〜
◆トーク1
映画カルテットについての紹介。東日本大震災が起こった後、一時は制作中止にするかという話になったが、どうやって撮影を再開することになったのか。映画プロデューサーの竹村さんに伺いました。
◆トーク2
映画再開の市長の思いと、撮影現場を情報交換の場として活用する市民の皆さん。また、制作現場の市民が協力しあう心暖まる話。
◆トーク3
映画カルテットが海外の映画祭で800作品を越える作品の中から20作品の中にノミネートされる。そんな明るい話題でさらに浦安市が明るくなった時の様子。また絆をテーマにした今回の作品に対する浦安市松崎市長のコメント。
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2011年12月17日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室4年生卒業制作第11回「癌と闘う〜こんなものとは共存したくない〜」

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第11回癌と闘う〜こんなものとは共存したくない〜」
担当ナレ:ーション 北田知美、ミキサー 佐藤あゆみ

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◆トーク1癌サバイバーの広野光子さんへのインタビュー番組。
みなさんは癌にどういうイメージをお持ちでしょうか。
ぱっと思い浮かぶだけでも「苦しい、辛い、不治の病」などといった負の印象が強いかと思います。
そもそも私たちが、「がん」をテーマにしようと思ったのは、私たちが家族をがんで亡くした経験があるからでした。癌に対してきっと皆さんと同様に、辛くて寂しいイメージを持っていた私たちが、癌や闘病中の人々を調べるうちに、私たちの癌に対するイメージとは真逆で明るい「金つなぎの会という存在を知り、代表の広野さんにインタビューするに至りました。
広野光子さんは明るく染めたアシンメトリーのショートカットと素敵な笑い皺の印象的な、三重県名張市に住む70歳の女性です。19年前乳がんと子宮がんの摘出手術を受け、余命半年を宣告されても明るく前向きに生きながら、たくさんの癌患者をはげまし続けています。
さて、広野光子さんは幼い頃から新聞記者になることが夢の文学少女でした。しかし、今は亡きご主人と出会い、結婚の道を選びました。
良き母、良き妻として専業主婦をしていた広野さんでしたが、40歳の時にサンケイリビングの記者になる道へ進むこととなります。
応募した投書が新聞によく掲載されていた甲斐もあってか、厳しい試験や面接を潜り抜け、約100人の応募の中からたった一人に選ばれた広野さん。念願の記者という忙しくも充実した日々を送る彼女でしたが、「長男の嫁」としての重圧も同時にのし掛かってきます。夫の父親の介護です。職場のある大阪と、夫の実家の松坂との往復の生活。そして記者という仕事…ろくに睡眠も食事も取れない日々が続きます。   
夜の電車の窓にうつる自分の顔に笑いかけ、自分を奮い立たせる広野さん。彼女は笑顔を人生のキーワードにしているようです。
辛い時にも笑顔。
広野さんがいつも笑顔を心がける理由は、愛する旦那さんの一言があったからだそうです。
◆トーク2
そんな広野さんに転機が訪れたのは、50歳の時でした。その年に始まった会社の健康診断で、胸にしこりが見つかったのです。これが彼女の最初の癌の発見でした。
夫の父親の介護のために大阪と松阪の往復をする生活は、癌になったおかげでやっと休めると彼女に思わせるほど、大変な事だったのです。また、文章を書くことがとにかく大好きだった広野さんは、ジャーナリストとしても癌の記者ということを武器にしていこうと前向きに考えていました。当時あまり癌に対して深刻に考えていなかった広野さんは、「癌の部分を全摘出したら大丈夫だろう」と、乳房を温存せず、癌の部分を全て取り払って安心していました。しかし、癌はそんなに甘いものではなかったのです。一年後、卵巣に大きな癌が見つかりました。3か月の抗がん剤治療と、3か月の養生生活。これをワンクールとして、合計3回、広野さんは1年半の闘病生活に入ることとなりました。
辛い抗がん剤の治療を思い出し、広野さんは語ってくれます。
抗がん剤治療のきつい副作用と、予期せぬ夫の死。日常の小さな夢を叶え、満たされた人生を送ってきた広野さんにとって、夫の死は大きな衝撃でした。
落ち込む広野さんを支えたのは周りの友人や、姉であり、ジャーナリストとしての自分でした。
ボロボロになった広野さんと、それを支える周りの人々の関係を金つぎ茶碗に例えた友人のこの言葉が、現在広野さんが活動している患者会である「金つなぎの会」の由来となったそうです。金つぎ茶碗とは、ひびが入ったり割たりした茶碗を、金でつないで修復した茶碗のことです。もとは広野さんが癌の闘病記を「金つなぎの茶碗」というタイトルで始め、それが反響を呼び、1995年に読者の方が集まって結成したのが「金つなぎの会」の始まりです。
「きっと良くなる、必ず良くなる」の精神で、金つなぎの会は、旅行に出かけたり、歌をうたったりして、辛い抗がん剤治療や闘病生活の中でも希望を持ち、日々陽気に過ごしています。100人いたら100人助からない病気でも、自分が助かる101人目になるんだ、という気持ちで生きている金つなぎの会員たち。どうしてそんなに生きようと前向きに思えるのか、癌と自分の関係を広野さんが語ってくれました。
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◆トーク3
101人目になったら、少しでも多くの人に情報発信をしたいと広野さんは言います。サンケイリビングの記者として始まり、今は癌サバイバーとして情報を発信し続ける広野さん。広野さんはインタビューの最後に、「私は来年で癌が発見されてから20年になるのよ」と、笑顔で話してくれました。金つなぎの会の代表として、記者として、今癌で苦しむ人やその家族の相談にも乗りながら、広野さんは生きています。
これを聴いている方の中にも、癌をはじめ難病と闘う人、それを支える人がいらっしゃるかと思います。広野さんたちに共感した方も、中には、「そんなにポジティブに考えられない、綺麗事だ
と思った方もいらっしゃるかもしれません。でも、私たちが感じたのは、同じ病気を経験している人同士にしか共感出来ない事があって、その病気を経験した人だからこそ伝えられる情報や掛けられる言葉があるんだなということです。「病は気から」という言葉がありますが、今回のインタビューを通して広野さんが大切にしている笑顔とポジティヴさが、癌に打ち勝つヒントなのかなとさえ思いました。前向きな癌サバイバーの広野さん、患者の会である「金つなぎの会」に興味を持たれた方は、ぜひ「金つなぎの会」で検索してみてください。
http://www.e-net.or.jp/user/yokunaru/
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