2011年7月26日〜8月23日までは、「災害とマイノリティシリーズT」をお送りします。
1984年9月15日に神戸学生青年センターで開催された姜徳相さんによる講演〜関東大震災と朝鮮人〜を5回に分けて解説を加えながらお届けします。
1995年1月17日の神戸での震災、そして2011年3月11日に起こった東日本大震災、そのことを考える上で「災害とマイノリティ」との関係を見つめなおすため、今関東大震災をしっかりと検証する必要があります。
今回は第2回目です。
聞き手は、関西学院大学総合制作学部山中速人教授、ゲストとしてお話いただいたのは、神戸学生青年センターの館長飛田雄一さんです。
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こちら関東大震災とは
1923(大正12)年9月1日、関東地方を巻き込んだ巨大地震が起こりました。被災者は100万人を超え、10万人を超える方がお亡くなりになりました。その中で、流言飛語に基づき、朝鮮人や中国人、社会主義者あわせて6000名もの人々が、日本の軍や自警団に命を奪われる痛ましい事件が起こりました。歴史学者、姜徳相さんは、関東大震災の体系的な研究をされていた方です。
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こちら1923年9月1日の関東一円に起こった出来事は地震、火事だけではありません。一番怖かったことは「朝鮮人が集団で襲撃をしてきたこと」「街角で自警団が武装をし、通る人間を見て、怪しいと思ったなら、直ちに切り殺していたこと」だそうです。当時の東京都教育委員会は子どもたちに震災体験の作文を書かせています。子どもたちの記憶の中にも、朝鮮人の迫害や朝鮮人との切り結びが一番怖く、朝鮮人ごっこという遊びが流行したそうです。今から61年前の東京を中心とする地域で起こったこと、それを歴史の教訓とするならば、地震や火事を媒介して起こった人災であると思います。9月1日を日本では防災の日と言いますが、朝鮮民族の立場から言うと、民族受難の日である、不条理の屈辱の日であると思っています。
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こちらどこからともなく、「朝鮮人が暴動を起こしている」という噂が流れました。「どうしてそのようなデマが流れたのか」「それに対して、当時の官憲は、どのような対応をしたのか」「偏見に満ちた対応はどうして起こったのか」歴史学の問題として、この3点が言えます。虐殺された人数の問題もあります。7000人や8000人と言っているが、日本の司法当局は231人であると言っているものもあります。この問題も大切ですので、関東大震災が、日本史にどのように位置づけられるかということについてもお話します。
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こちら姜徳相さんは、みすず書房から関東大震災に関する資料集を出されています。この資料集を作る過程で、多くの文献の分析を進めてこられました。東日本大震災後、AC(公共広告)が流布したように、関東大震災のあとも「日本は強い。今、日本が負けそうだから、強い日本を守るために」と、社会主義者や独立運動をしそうな朝鮮人を虐殺しました。日本の中の恐怖感に立脚した策謀や意図があり、歴史の中で動いていく、そのプロセスを資料を解きほぐし、姜徳相さんは明らかにしてきました。