2011年04月23日

「金慶海(きむぎょんえ)先生が語る阪神教育闘争」第四回

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第4回 四・二四、兵庫県知事との団体交渉と学校閉鎖命令の撤回




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「金慶海(きむぎょんえ)先生が語る阪神教育闘争」第三回

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第3回 弾圧への抵抗とGHQ(アメリカ占領軍)の閉鎖命令


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「金慶海(きむぎょんえ)先生が語る阪神教育闘争」第二回

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第2回 在日コリアンの民族教育の盛り上がりと日本政府の弾圧の開始
◆◇オープニング
前回に引き続き、阪神教育闘争についてお送りいたします。
今回は在日コリアンの民族教育の盛り上がりと日本政府の弾圧の開始についてです。
在日朝鮮人の民族教育が、戦後盛り上がり広がっていったが、それに対し日本の政府が監修を始めます。色々な学校が出来始め、学校を運営している朝鮮連合が機構を整理して本格的に民族教育をスタートさせていくというお話です。


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2011年04月05日

「金慶海(きむぎょんえ)先生が語る阪神教育闘争」第一回

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毎夕火曜日12時からの「まちはイキイキきらめきタイム」の13時からのコーナー関西学院大学総合制作学部山中速人研究室の送る「耳をすませてリスニングトゲザー」では、2011年4月5日より5月9日までの全六回にわたって、在日朝鮮人史歴史家故金慶海氏が語る「4.24 阪神教育闘争〜神戸〜」をお送りいたします。
この番組で放送される金慶海さんの音声は、1981年4月から6月にわたって毎月1回(財)神戸学生青年センターで開催された「第十六期・神戸朝鮮史セミナー」で記録された講演録を編集したものです。(財)神戸学生青年センターの館長飛田雄一さんのご好意で音源をいただくことができました。
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◆ゲストコメンテーター 財団法人神戸学生青年センター 飛田雄一さん
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◆番組担当 関西学院大学総合制作学部 山中速人教授
第1回 はじめに〜日本の敗戦直後の在日コリアンと教育問題
◆はじめに〜金慶海さんのご自身について
一昨年の12月にお亡くなりになられました。長い間、神戸の朝鮮学校の先生もされていて、在日朝鮮人の学校に関心のあった方です。金慶海さん自身も、戦後の創世期の朝鮮学校に通っていたというご自身の経験もあります。ライフワークの一つとして、阪神教育闘争について研究をされていていました。今は、阪神教育闘争についての本も増えていますが、金慶海さんが始めて本を出された当時としては、とても先駆的でした。
「4・24 阪神教育闘争」。植民地から解放され、文化や言葉を取り戻そうとして、子弟の教育を始め、学校を作っていきます。日本政府や占領軍GHQが弾圧し、潰していきました。そんな中で、在日朝鮮人が民族教育を確立していく、歴史的な意味のあった事件です。
◆「4・24 阪神教育闘争」
今から30年ほど前に、神戸、大阪を中心に、在日朝鮮人の民族教育の権利を守る戦いが大きく行われました。そのとき、ちょうど私は小学校4年生になったばかりのときでした。4月24日当日にも、私は幼いながら参加しました。私の兄弟6人も、全部これに関係しました。ある者は反対に、またある者はその反対にということで、私の幼い心に非常に強烈に印象づけられた事件です。
神戸で一番中心的に闘われた闘いじゃないかと思います。「4・24阪神教育闘争」は、朝鮮人の社会では「4・24闘争」と言われて記念されている日です。昭和23年、1948年に神戸にいる朝鮮人が、自分らの教育の権利を守るためにどのようにしたいか、ということを中心にお話したいと思います。
1948年4月24日、兵庫県庁を取り巻いた朝鮮人らが自分らの子弟の教育の権利を獲得する闘いで、大きな勝利を収めました。在日朝鮮人にとっては、「民族教育はどうあるべきか」という原点的な理念の問題、非常に大切な闘いです。朝鮮学校を総称して、存在して第一歩の大きな試練だったと思います。突然起こった闘いではなく、歴史的な、社会的な、政治的な背景がありました。
◆日本の敗戦直後の在日コリアン
日本にいる朝鮮人の教育ということについては、戦前もなされていたようです。細々と、自分らの子弟に対する教育はなされていましたが、組織だったものではありませんでした。そうしているうちに、解放(終戦)を迎えます。その時点で、朝鮮人が240万人ほどいたそうです。
解放ということが、一つの大きな転換になりました。在日朝鮮人が、国が解放されたので、自分の故郷(主に南朝鮮)に帰ったそうです。在日朝鮮人の社会にも大きな影響を与えました。帰ろうとなった時点で、問題が出てきました。
在日朝鮮人の社会で、戦前に権利が蹂躙された、奴隷のような生活をさせられたのは、自分たちの団体がなかったためだと考え、1945年の10月に自分たちの団体である朝鮮人連盟が結成されました。朝連が結成され、在日朝鮮人の大きな問題は、「帰る」ということでした。1世はすぐ帰国できますが、2世は帰っても言葉が通じません。
◆教育のはじまり
帰るための準備として、「片言でもいいので朝鮮語を教えよう」、「少しでもいいので地理、歴史、民族文化を教えよう」という子どもらに対する教育の問題が提議されるようになりました。二畳や三畳の部屋を利用するなどで、子どもらへの教育が始まりました。この動きはすごい規模で始まりました。
そこでは、民族的な素養の教育が行われました。「お前は朝鮮人なんだよ」「朝鮮は立派な国なんだよ」「こういう良いところを持っているんだよ」ということを教えこもうと、一世は考えました。教えておかないと、「半チョッパリ(半分朝鮮人)」で、役立たずということです。親が一番願っていることは、「朝鮮人として育って欲しい」ということだと思います。そんな思いが当時は今以上に強かったのです。
◆本日のまとめと次回「第2回在日コリアンの民族教育の盛り上がりと日本政府の弾圧の開始」予告
最初の部分では、金慶海先生の個人的な思いも述べられていました。
長田区の長田南小学校(旧・神楽小学校)には、卒業生の思いが込められた石碑(校名碑)ができましたので、是非皆さん行ってほしいなと思います。
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2011年04月04日

関西学院大学総合制作学部山中速人研究室3年制作番組「震災後それぞれの軌跡」第15回

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第15 回 ファム・フィン・リンさん
担当関西学院大学総合制作学部3年生 稲熊宏紀
◆トーク1
インタビュー対象者のリンさんの紹介
ボートピープルとして、小さな船に乗り、ベトナムを脱出してから来日までの過酷な体験を紹介

◆トーク2
ボートピープルという過酷な体験をしたリンさんにとって、阪神淡路大震災による震災体験はどのように感じられたのでしょうか
避難所生活をする中で日本人の方との文化の違いを感じた、食べ物の食べ方により誤解されたエピソードを紹介
◆トーク3
避難所で出会ったベトナム語を話すボランティアの日本人女性との出会いにより、リンさんがこれまで抱いていたベトナムに対する想いに変化が生じます。
リンさんの震災に対するまとめ、私の震災、今回のインタビューに対するまとめ
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