第3回目の担当 ディレクターの荘、本谷、越智、柴田、阪上
神戸山手大学の教授である小林郁雄さんにお話を伺いました。今回小林さんに、お忙しい中時間を作っていただき、私たち学生にも分かりやすく丁寧に説明してくださってとても気さくな方でした。小林さんは、現在まちづくり専門のコンサルタントである株式会社コープランや、人と防災未来センターの上級研究員をされています。行政と市民の間に入って話をしたり、人材の派遣をおこなっていらっしゃいます。阪神淡路大震災の時は市民が主体のまちづくりをテーマに尽力されていました。
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こちら◆越智
小林さんの阪神淡路大震災の経験・活動。
はい。わたし越智は、小林さんの阪神淡路大震災の経験・復興活動について話します。震災発生当時、阪神地域の人々はあまりの被害の大きさに絶望していました。小林さんはその時、阪急の六甲駅の近くのマンションに住んでいました。幸いそこは震災の被害を比較的大きく受けていない場所であったので小林さんの家は壊れませんでしたが家の中の多くの家具が壊れてしまったそうです。
そんな中小林さんは都市計画の専門家たちを集めて復興計画を立てていくことにしました。その計画はまず地域ごとの被害の程度を調べることから始めます。被害の規模はとても大きく、被害の種類も様々であったのでその作業はとても時間のかかるものでした。その結果、一番大きい被害として挙げられたのが火事でした。なぜなら、建物の中のほぼすべての物が燃えて無くなってしまうからです。そのため、火事で被災した地域の被害額は他の地域に比べ甚大なものでした。さらにこのとき、火事の被害は地震により断水が起きてしまっていたため消防車による消火がうまく行われず被害はより大きなものになってしまったのです。小林さんたちは火事の被害を受けた地域を集中的に復興させていこうと決めました。
このような復興をしていく中で人々が元々住んでいた場所の大きさを小さくし、道路の大きさなどを拡大していくといった区画整備が行われました。この区画整備の一貫が神戸の震災復興における都市地域計画と呼ばれており、ほとんど既存の都市計画制度が適用されることになったのです。
しかしこの計画は全く被災者に相談もなく決定をしてしまっていたのです。そのため、地元住民たちは説明を聞いていないことに大きな不満を持ち批判が頻発しました。この住民との間の問題を解決するために神戸市はまちづくり協議会というシステムを作ったのです。まちづくり協議会とは地域の人たちが集まって協議会をつくり専門家などの支援を受けてまちづくり提案を出していくというものでした。つまり地域の人たちが自分たちの街を自分たちの手で考えていこうという考えのもとにあるものです。
この街づくり協議会は住民・事業者・行政で一緒にやるという協同のまちづくりを進めるシステムとしてなり立っています。小林さんたちは住民・事業者・行政の間に立って、専門家としての支援活動をしていくことを目的とした「市民まちづくり支援ネットワーク」というものを作りました。市民まちづくり支援ネットワークにより復興の分野に応じた専門的な対応が可能となったのです。神戸の復興はこれ以降円滑に進めることが可能となりました。
小林さんは復興をしていくにあたって非常に重要なことは様々な人が出会うネットワークを用意することだと言っています。阪神淡路大震災の今に至るまでの復興はこのような人たちの努力が背景にあったのです。
司会:本谷
越智さんは阪神淡路大震災の記憶やどのような状況であったか覚えていますか。
わたし越智の家族も地震によって大きな被害を受けました。祖父母の家は崩壊してしまい、父も地震によって転職を余儀なくされてしまいました。そのような経験をしているからこそ小林さんの話はとてもわたしにとって興味深いものでした。小林さんは復興計画を立てていくに当たり地元住民の理解を得ることに非常に苦労したといわれました。復興というものは街を元の状態に戻す工事などをできる限り迅速にやるというイメージを持っていましたが何よりも人々の気持ちに配慮するという事が大事だという事を今回の話で学ぶことができました。現在僕が何気なく住んでいる場所は人々の血のにじむような努力によってもたらされているのだと思うとわたしは心から感謝の念を覚えます。このような努力があったことを後世の人々に伝えていくことはとても大事だと思いますのでわたしもそれに努めていきたいと思っています。
司会:本谷
復興といってもすべてを一度にすることはできませんので、どの部分からするのか決めることはとても大切な事だと思います。また、勝手に計画するのではなく、地域に住む人と話し合うことはとても大切なことだと思います。
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こちら◆柴田
阪神淡路大震災と東日本大震災の違い。
私柴田は阪神淡路大震災と東日本大震災の違いについて話します。阪神淡路大震災では、神戸、西宮、宝塚などいわゆる都会が主に被災しました。しかし、東日本大震災では、石巻、気仙沼といった人口5万人以下の地区が被災の中心となりました。
阪神淡路大震災で被災された人の多くが会社員であるのに対し、東日本大震災で被災された人の多くは、漁業、農業などの一次産業を仕事にしています。
つまり、生活スタイルが異なっています。生活スタイルが異なっていれば、2つの地震によって生じた問題も異なっていると言えます。
阪神淡路大震災では住む場所を中心に復興していきましたが、東日本大震災では住む場所だけでなく、漁業や農業などで働く場所を津波によって奪われてしまったので、仕事をする環境をまず整えていく復興をする必要があります。
さらに、被災の大きさも全く違います。阪神淡路大震災の場合は、20ヘクタール程の範囲で復興都市計画事業が進められ、被災者のための住宅開発面積は、70ヘクタールから100ヘクタールといった規模で、甲子園球場約100個分の広さです。東日本大震災の場合、たとえば石巻市では20㎢が津波で浸水したり、10㎢にわたって家がなかったりということが起きています。ヘクタールと㎢では桁が2つ違うので、東日本大震災の被害は阪神淡路大震災の被害の100倍ほど違います。
阪神淡路大震災と東日本大震災の主な違いはこの2つです。
司会:本谷
柴田さんは生活スタイルが違う、被災の大きさが違う、という2つの違う点を小林さんから聞いたときにどのように感じましたか。
阪神淡路大震災と東日本大震災は、共に大きな地震であるので、小林さんに話を聞くまでは同じような問題が起こっていると思っていました。
実際には、その地域に住んでいる人々の職種によって生活が異なるので、生じる問題も異なるということを知り、自分の考えが浅はかであったと反省しました。
東日本大震災では、地震によって津波が発生し、阪神淡路大震災とは比べ物にならないほど広い範囲に被害が拡大しました。
陸に大きな船が打ち上げられていたり、建物の屋根の上に船が乗っかっていたりと、津波による被害の大きさはテレビでも再三報じられていたので、知ってはいましたが、阪神淡路大震災と具体的に比較したときに被害が100倍も大きいことに大変驚きました。
東日本大震災の被災者の多くは漁師であり、漁師にとって必須の船が家もろ共津波によって無くなってしまったので、家と職を同時に失ったことになります。
家も職も失ってしまった人たちがもとの暮らしを取り戻さなければならないことを考えると、復興にはまだまだ時間がかかる気がします。
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こちら司会:本谷
震災と言っても規模、地域が違います。また、そこで生活する人の生活スタイルが一番の違いだと思います。阪神淡路大震災では、会社員の多くが被害を受けたのに対し、東日本大震災では主に自営業をされている人が被害を受けています。スタイルが違うということは、支援する形も変わってくると思います。では、震災の規模、生活スタイルの違いがある中、阪神淡路大震災の教訓は生かされたのでしょうか。
◆荘
阪神淡路大震災の教訓・活動を東日本大震災で活かせたか。
私荘は阪神淡路大震災の教訓を東日本大震災で活かせたかどうかについて話したいと思います。
結論から言います。東日本の90%の地区では阪神淡路大震災の教訓は活かせない。これが小林さんが出した結論です。
しかし、残り10%の地区では阪神淡路大震災の教訓が活かせるといわれております。
この10%の地区というのは各々の市の中心部を指しており、人がたくさん集まるようなところであります。
10%の地区では、阪神淡路大震災後に行われた「まちづくり協議会と市民まちづくり支援ネットワーク」が活用できるといわれております。
なぜなら、人が集まる地区では住んでいる市民が復興の主体となり、行政と手を組み、また都市計画に関する専門家との話し合いのもと、具体的なまちづくりを行うことができるからです。
よって10%の地区では、阪神淡路大震災の教訓を東日本大震災で活かせるといえるのではないでしょうか。
司会:本谷
教訓は90%では生かされ、残りの10%では生かされないという点について宗さんはどのように感じますか。また、荘さんが考える復興案はありますか。
私荘は小林さんの話を聞くまでは東日本大震災も阪神淡路大震災と同じような都市計画で復興にのぞめると思っていました。
しかし、やはり住んでいる地域の地理的問題や人間、生活などが異なっていれば、それに対応する都市計画もまた異なったものになるのだなと、驚かされました。
しかし、それでも、そこに住んでいる市民が主体的に自分たちのまちを作り直す。
といった大まかな所はたとえ被災地の状況が異なっていようとも、一致させるべきなのではないかとも思いました。
10%の地域はまちづくり協議会や市民まちづくり支援ネットワークのような仕組みによって、市民主体のまちづくりが実現できそうです。
そして、大部分の90%もどうにかこのまちづくり協議会や市民まちづくり支援ネットワークのような仕組みを活かせるか今後の課題になるような気がします。
そこで私が考えた案なのですが、90%の大きな地域の括りを細かくわけます。
そしてある程度被災の状況が類似している地域を分類し、その地域毎にあったまちづくり協議会や市民まちづくり支援ネットワークのような仕組みを行うことで、90%の大きな地域にも対応できると思います。
今後震災が起こった時も、市民主体のまちづくりを、どの地域にも活かせるようにすれば、阪神淡路大震災の教訓は今後とも十分に活かせるように思います。
司会:本谷
生かされた点もあれば生かされなかった点もあるということですね。教訓が生かされる地域はまちづくり協議会や市民まちづくり支援ネットワーク生かして行えればいいのではないでしょうか。
また、いかせられなかった点に関しては難しいと思いますができることからやっていければいいのではないでしょうか。では最後に小林さんが考える復興策を阪上さんお願いします。
◆阪上
私阪上は今から阪神淡路大震災の時の都市計画が残りの東日本大震災の残り9割の範囲に通用するかどうかについて話します。
先ほど荘さんが、言った通り阪神大震災で通用した、復興のためのまちづくりは、今回の東日本大震災の復興には、1割の範囲にしか通用しないのです。
残りの9割の範囲には、はっきり言って通用しないそうです。
9割に通用するものと言えば堤防や高台の強化などがありますが、これはまた東日本大震災の津波のように予測できない高さの津波が来た時には同じようなことが起こってしまうかもしれません。
阪神淡路大震災の時の区画整理は約230ヘクタールで、東日本大震災と比べると、この230ヘクタールという大きさは石巻の一地区にしか過ぎないのです。
被害があった範囲の大きさの違いもありますが、一番は神戸が都会なのに対して、東北の被災地はほとんどが一次産業の盛んな地域だったということです。
人口一万や二万の町だと市民支援ネットワークは難しく、住んでいるほとんどの人は、漁業などの一次産業をしている人で、阪神淡路大震災の時より会社員の人は少なかったのです。
だから、普段漁業をしている人に会ったまちづくりを提案するのは、都会のまちづくりを対象に阪神大震災の復興にも携わってきた小林さんにも想像がつかないくらい難しい問題だそうです。
ただ、被害にあった場所の大半は漁場や海岸なため漁業者たちなどの一次産業者同士で相談する必要があるとおっしゃっていました。
たしかに漁業の世界は私たちにはわからないルールなどがたくさんありそうなので、漁師さん同士で相談しお互いが納得して復興を目指していくことは大切だと思いました。
また、小林さんは、仙台や盛岡のまちづくりの専門家なら一次産業者に合ったまちづくりをアドバイスできるかもしれないとおっしゃっていました。
次に、小林さん本人が被災地に伝えたいことについて話します。
今被災地で頑張っている人々は被害が思っていた以上に広範囲で自分ではどうにもならないと思っている人が多いと思いますが、立ち上がって、市民のまちづくりは市民がしなければならない。自分たちで決めて自分たちで行動しなければ復興とは言わないし、まちが元に戻っても10年、20年と継続していかなければ意味がないとおっしゃっていました。
私が小林さんの話を聞くまでは、普通、まちが元に戻って元の暮らしが出来ればいいかなと思っていたのですが、十年後や二十年後のことも見越して復興していこうという考えはまちづくりの専門家ならではの考えだと思いました。
司会:本谷
街づくり専門の小林さんでも今回の東日本の復興策を考えるのは難しいみたいですね。阪上さんは今回のインタビューでどのようなことを学びましたか。
私は今回小林さんにインタビューさせてもらいあらためて震災からの復興の難しさを知りました。
復興することは、簡単ではないし自分には何もできないと思ってしまうかもしれませんが、自分でも何かできると思う強い気持ちを持つ事が大切なのだと思いました。
また復興は行政や専門家だけが、がんばっていても、被災地に住んでいる人全員が納得できるまちづくりをするのは難しいと私は思います。
住民が中心に立って復興を目指していくぐらいの気持ちを持って話し合い、みんなが納得できる復興策を見つけていくことができれば理想的だと思いました。
司会:本谷
私たちは今回小林さんを取材させていただいて地域・住む人の生活スタイルによって復興政策を変えていかなければならないということを知りました。実際、東日本大震災では、仕事を失った人が多くいらっしゃったので仕事を優先していかないといけないとわかりました。小林さんは阪神淡路大震災の教訓は東日本大震災にはあまり生かされないとおっしゃっていましたが、なんにせよそこに住む一人一人が行動していかないといけないともおっしゃっていました。辛いことを経験されたと思いますが、住む人が主体となっていかなければならないと思います。これで私たちの番組を終わります。ありがとうございました。